正直に告白すると、数年前までの私は、この世の何よりも蜘蛛が苦手でした。特に、風呂場の天井の隅で、ゆらゆらと揺れている、あの足が長い蜘蛛、イエユウレイグモ。その頼りなげな姿と、予測不能な動きが、私の恐怖心を最大限に煽りました。見つけ次第、シャワーの熱湯を浴びせかけ、排水口へと流し去る。それが、私と彼らとの、長年にわたる冷たい関係でした。しかし、ある夏の夜の出来事が、私のその一方的な憎しみに、終止符を打つことになったのです。その夜、私は、風呂場の窓際に、一匹の小さな蛾が止まっているのに気づきました。おそらく、網戸の隙間から入ってきたのでしょう。衣類を食べる害虫かもしれない、と思い、ティッシュで捕まえようとした、まさにその瞬間でした。天井の隅にあった蜘蛛の巣から、一筋の糸が、まるで忍者の鉤縄のように、スルスルと降りてきたのです。そして、次の瞬間、糸の先に乗ったイエユウレイグモが、あっという間に蛾を捕らえ、糸を巧みに操りながら、再び天井の巣へと獲物を持ち帰っていきました。その動きは、私がこれまで見てきた、ただ不気味に揺れているだけの姿とは全く異なっていました。それは、獲物を確実に仕留めるための、無駄がなく、洗練されたハンターの動きでした。あまりに一瞬の、しかし完璧な捕食の光景に、私は呆然とその場に立ち尽くすしかありませんでした。あの時、私は初めて、彼らがただそこにいるだけの、不気味な存在ではないということを、心の底から理解したのです。彼らは、私の知らないところで、私の家を、他の不快な虫たちから守ってくれていた。その日以来、私は風呂場でイエユウレイグモに遭遇しても、シャワーをかけることはなくなりました。心の中でそっと「今夜も警備、ご苦労さまです」と声をかけ、彼らのテリトリーを邪魔しないように、静かに行動するようになりました。もちろん、今でも彼らの姿を愛することはできません。しかし、無益な殺生はやめよう、と。あの夜の小さなハンターが、私にそう教えてくれたのです。